「ふつうの軽音部」は、音楽を通じて“自分”と向き合う若者たちの物語です。ただバンドを組んで演奏する、それだけじゃない。この作品において音楽は、感情を翻訳するための言葉であり、言葉よりも正確に、傷ついた心を映す鏡でもあります。
そして登場する楽曲たちはすべて、実在の名曲たち。その曲を聴いたことがある人ならきっと、「この場面でこれを選ぶの、すごくわかる」と思わず頷いてしまう。この記事では、「ふつうの軽音部」の全話で使用された楽曲を完全網羅しながら、その曲が選ばれた“理由”を情感の視点から読み解いていきます。
音が鳴った瞬間、世界が少しだけ色づいて見える──そんな“青春”の正体を、ここから一緒にたどってみませんか。
第1巻〜第2巻|『ふつうの軽音部』序盤に登場した楽曲まとめ
物語の始まりとなる第1〜2巻には、「音楽が何かを変える」と本気で信じるにはまだ幼すぎる、そんな時期の心の揺れが詰まっています。自意識、憧れ、痛み──そのすべてが、曲たちの中にある“感情の断片”とリンクし、キャラクターの内面をむき出しにしていく。
ここで使われた曲は、すべてが“今を生きる”若者たちの魂を代弁してきたもの。RADWIMPS、銀杏BOYZ、ASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKEN──いずれも、痛みや衝動を“音”に変えてきたバンドばかりです。
その曲たちが、序盤の物語とどのように交差していったのか。以下でじっくり振り返ります。
RADWIMPSや銀杏BOYZで描く葛藤の始まり
第1話に登場するのは、RADWIMPSの代表曲「おしゃかしゃま」。攻撃的なテンポと哲学的な歌詞が、“世界は思い通りに動かない”という現実を、鮮烈に突きつけてきます。物語の冒頭にこの曲が鳴ることで、登場人物たちがこれから直面する「思い通りにいかない青春」が暗示されるのです。
一方、第2話で使用されたのが銀杏BOYZの「あいどんわなだい」。ぐちゃぐちゃで、優しくて、どうしようもない“感情のまま”の音が、彼らの不器用さに寄り添って響きます。
この2曲が冒頭で流れることで、読者は“この作品は音で感情を語る”のだと直感する。そしてその感情は、決してキレイごとだけじゃない。そこが、この漫画のすごさでもあるのです。
“日常と非日常”の境界に鳴るASIAN KUNG-FU GENERATIONの衝動
第3話では、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソラニン」が流れます。この曲の持つ“中途半端なまま歩くことの肯定”というテーマは、自分が何者でもないと感じている高校生の姿にぴたりと重なります。
この場面では、登場人物たちが初めて「自分たちの音を鳴らす」感覚を得る。けれど、そこにあるのは達成感じゃない。何かが始まりそうで、でも何も掴めていないという、“揺らぎ”の瞬間なのです。
だからこそ、この曲の「何も始まらなかった」というフレーズが、皮肉でもあり、希望にも聴こえる。そんな二重性が、この物語の初期トーンと深く呼応しています。
友情と焦燥の中で鳴ったBUMP OF CHICKENの役割
第5話で登場するのは、「天体観測」。かつて誰もが聴いたことのあるこの曲は、“まだ見ぬ何か”を信じて手を伸ばす者たちのアンセムです。
主人公が仲間と初めて音を重ねたとき、そのシーンにこの曲が流れることで、ただの演奏練習が、人生の転機に変わります。彼にとっての「音楽」が、まだ形のないまま、“何かになろうとする”過程に入った瞬間でした。
また、同じ話で登場するSaucy Dogの「シンデレラボーイ」は、他人と自分を比べてしまう痛みを描いた曲。親友の才能を前に、思わず立ち止まってしまう。そんな場面にこの曲が差し込まれることで、心の弱さすらも肯定してくれる空気が生まれます。
「音楽を信じていいのか」、それがまだわからないままでも、彼らは音を鳴らしていく。この巻では“迷いながらも進もうとする人間のリアル”が音楽を通して伝わってくるのです。
第3巻〜第5巻|関係性が動き出す中盤の楽曲たち
『ふつうの軽音部』の中盤──それは、音楽がただの“手段”ではなく、“心の拠りどころ”として機能しはじめる転換期。仲間との距離、進むべき道、そして自分自身への問い直し──そうした葛藤を抱えるキャラクターたちの背中を、楽曲たちがそっと支えている。
このフェーズでは、言葉にしきれない想いを“音”が代弁し、その感情が読者の心にも静かに波紋を広げていく。使われている楽曲のジャンルや表現もより多様になり、バンドミュージックだけでなく、繊細で内省的なポップスやロックが印象的に差し込まれる。
特にこの時期に多く使用されるのは、「誰かに伝えたいけれど、伝えられない」という感情と、「今のままじゃダメだと気づいているけど、動き出せない」という焦燥。その“ちょうど真ん中”にある音楽を、作中は的確に選び抜いている。
関係性の変化は、一見して目立つものばかりではない。すれ違い、誤解、沈黙の間(ま)。その“何もない時間”にこそ、音楽は鳴り、キャラクターたちの“本音”を静かに照らし出すのだ。
Hump Backとあいみょんに託された“言葉にできない感情”
第13話で登場するHump Backの「拝啓、少年よ」は、過去の自分に語りかけるようなリリックが、登場人物の「変われなさ」や「変わりたいのに変われない自分」と共鳴する。
印象的なのは、誰かに向けた演奏ではなく、“心の中で鳴っている”ような演出だということ。内面の独白を、メロディと歌詞が補完している感覚。観客はいない。けれど、読者だけがその“心のステージ”に立ち会っている。
続く第14話のあいみょん「君はロックを聴かない」は、好きな人との距離、“わかりあえなさ”を描く。恋愛における非対称性を、主人公の感情とともに音が可視化していく。
言えなかった想い。伝えられなかった一言。音楽はそのすべてを、声にならない形で浮かび上がらせていく。
ACIDMAN・Vaundy・スピッツが鳴らす“立ち止まりたくなる瞬間”
第18話で使われるACIDMANの「赤橙」は、空気を切り裂くような派手さではなく、“止まること”を美しく肯定する音として印象的に鳴る。
たとえば、誰かとの関係に迷ったとき。未来がわからなくなったとき。この曲は、進むことを急がなくていいと伝えてくれる。そんな曲の余白と、登場人物の沈黙とが、奇跡的なバランスで重なっている。
そして第19話の「怪獣の花唄」(Vaundy)は、“爆発しそうな衝動”と“伝えきれない苦しさ”が同時に鳴っている。物語としては衝突の場面だが、そこにこの楽曲が入ることで、怒りの中にある寂しさが浮き彫りになる。
スピッツ「スピカ」(第20話)は、壊れかけた関係をそっと繋ぎ直すような役割を果たす。再起を描くには大げさすぎない、“ささやかな希望”という灯を音楽が提示している。
サンボマスターが灯す“再生”のきっかけ
第43話──このエピソードは、ひとつの山場として記憶に残る回だろう。「輝きだして走ってく」/サンボマスターは、まさにそのシーンのためにあるような曲だった。
叫ぶようなボーカル、真っ直ぐすぎる言葉。嘘偽りのない音。そのすべてが、登場人物たちの「まだ終われない」という祈りに重なっていく。
ここで重要なのは、“うまくいく”という確信ではなく、「まだやってみたい」と思える気持ちが戻ってくること。音楽が、彼らの再起動ボタンを押してくれたのだ。
だからこそ、読み終わったあと、読者もまた「今からでも間に合う気がする」と思えてしまう。音楽と感情の融合が、物語を越えて、読み手の現実にまで効いてくる。それがこの回の凄みだった。
第6巻〜最新話|進路・葛藤・未来へ向かう後半の楽曲たち
物語が後半に差し掛かる第6巻以降、『ふつうの軽音部』はより深く、“生きるとは何か”という問いを突きつけてくるようになる。
ただ好きな音楽を鳴らすだけじゃない。進路、自信、仲間との別れ、将来への不安──現実に足を取られながら、それでも音を鳴らし続ける理由を、彼らはそれぞれに見出そうとする。
ここから登場する楽曲たちは、その“選択の重さ”を映し出している。海外ロックやオルタナ、メッセージ性の強い邦楽が中心となり、音楽そのものが“物語の言語”となる。
もはやBGMではない。音楽こそが登場人物の「心の中身」であり、読者はその音を通して、彼らの決断や孤独に触れていくことになる。
andymori・サバシスターが響かせる“叫び”
第50話で登場するandymoriの「16」は、若さゆえの焦りや不器用さを象徴する。メロディは疾走しているのに、心は置いてけぼり。「何者でもない自分」に対する怒りと優しさが同居する一曲だ。
これは、主人公が“音楽を続けるか否か”という選択の前に立たされたときに流れる。だからこそ、その叫びがただのノイズではなく、「それでも、やる」と心に決める瞬間へと変わるのだ。
第60話の「覚悟を決めろ!」/サバシスターは、その名の通り、“もう迷わない”という決意を音に乗せた楽曲。曲のパワーはもちろん、主人公の叫びと歌詞が完全に重なる構図が、ページをめくる手を止めさせる。
このあたりから、物語は“誰かとつながる”物語ではなく、“自分とつながる”物語へとシフトしていく。
NUMBER GIRL・東京事変の音が示す“答えのない問い”
第61話の「IGGY POP FAN CLUB」/NUMBER GIRLは、音としての強度と“理解されなくても叫ぶ”というメンタリティが、孤独を抱えたまま戦う登場人物にぴったりとはまる。
このシーンでは、他人と対話することすら諦めかけた彼らが、それでも音楽を鳴らし続ける。“どうせ伝わらない”という諦念の中に、それでも“何かを残したい”という執念が込められている。
第62話では東京事変の「閃光少女」が登場。あまりにも完成されたポップ性と破壊的な個性が共存するこの曲は、“才能”に対する畏怖と憧れを描く場面で使用される。
この楽曲は、「自分にはきっと届かない」と思いながらも、それでも舞台に立とうとする者の背中を押す。理解できなくても、美しさに触れたという事実は、前に進む理由になる。
Oasis・夜の本気ダンスが描いた“飛び立つ瞬間”
物語の終盤──第64話。Oasisの「Wonderwall」が使用される。洋楽の中でも特に“支え”をテーマにしたこの曲は、「誰かがいてくれたからここまで来られた」という静かな感謝の気持ちがにじむ場面で流れる。
英語の歌詞であるにもかかわらず、その空気感だけで感情が伝わるのは、音楽そのものが言語であるという証だ。
そして同話のもう一曲、「Crazy Dancer」/夜の本気ダンスは、踊り続けることでしか壊せない“現状”に立ち向かう彼らの姿を描き出す。
ここでの演奏はもう“青春”じゃない。現実の重さと向き合いながらも、それでも止まらない衝動──その最後の燃焼のように鳴っている。
この瞬間、音楽は彼らを解放し、そして次の物語へと飛ばしていく。まさに“終わりではなく、始まり”を感じさせるエンディングだった。
『ふつうの軽音部』楽曲まとめリンク集|Spotify・YouTubeも紹介
物語の余韻が胸に残っているなら、ぜひそのまま“音”に触れてほしい。『ふつうの軽音部』で登場した名曲たちは、物語とともに聴くことで、感情の記憶として深く刻まれていく。
この章では、Spotify・YouTube・Amazon Musicなどで視聴可能なプレイリストやまとめ動画を紹介する。読後にもう一度“あの曲”を聴きたいと思ったとき、ここに戻ってきてくれればいい。
作品と音楽は、一度出会ったら、もう切り離せない。その確かさを、ぜひ体験してみてほしい。
Spotifyで聴ける『ふつうの軽音部』使用楽曲プレイリスト
Spotifyには、ファンによって作成されたプレイリストがいくつか存在している。特に以下のリストは、登場曲を網羅的に収録しており、聴きながら物語を思い出せる構成になっている。
「この話のあの曲、どんなだったっけ?」と思い返すときにも最適。順番通りに聴くことで、物語の構造までもが浮かび上がってくるような感覚を得られるはずだ。
YouTubeで視聴できるファン作成のまとめ動画
YouTubeでは、有志によって構成されたプレイリストや、各巻ごとの登場曲を紹介する解説動画が複数アップされている。
特に動画形式のまとめは、使用された場面やキャラクターの台詞も一緒に紹介されるため、原作の記憶が蘇るような構成になっている。
音楽と場面のリンクを体感するなら、ぜひYouTubeもチェックしてみてほしい。
Amazon Musicなど他ストリーミングでの視聴情報
SpotifyやYouTubeに加え、Amazon Musicにも『ふつうの軽音部』登場楽曲をまとめたファンプレイリストが存在している。スマホでの使用が多いユーザーには、こちらもおすすめだ。
それぞれの曲を聴きながら、「なぜこの曲だったのか」を改めて考えるだけで、読後の余韻は何倍にも深くなる。
物語を閉じたあとも、音だけがずっと鳴り続けている──そんな読書体験の続きを、あなた自身の耳で楽しんでほしい。
まとめ|“音楽”が語る青春の真実とは
『ふつうの軽音部』を読み終えたとき、胸に残るのは「どの曲が使われていたか」ではなく、“どの曲が、どんな気持ちと重なっていたか”という感覚だったりする。
この作品は、登場人物の内面を、言葉だけではなく“音楽というもうひとつの言語”で描いた物語だ。彼らがギターを鳴らしたとき、音を止めたとき、あるいは、ただ曲を聴いているだけのとき──そのすべてに“理由”があった。
作品を通じて繰り返し語られるのは、「わかってほしいけど、うまく言えない」という感情の存在。言葉にならない想い。それを受け止めるのが、音楽の役割だった。
楽曲たちは、登場人物の叫び、願い、痛みを代弁し、ときには背中を押し、ときには涙を流す許しを与えてくれた。ひとつひとつの選曲が“感情の地図”になっている。
それはきっと、私たち読者にも同じことが言える。誰かにうまく言えなかった気持ち。自分でもよくわからない焦燥や孤独。そういうものに、ふと聴いた音楽が“名前”をつけてくれた経験が、誰しもあるはずだから。
『ふつうの軽音部』という作品は、そうした経験にそっと寄り添い、もう一度「聴いてみようかな」と思わせてくれる。そして、その瞬間から、あなた自身の物語と、音楽の関係が始まっていく。
このまとめ記事が、その“始まり”の背中を、少しでも押せたなら。この記事のすべての言葉もまた、どこかの“曲”になって、心の中で鳴り続けてくれることを願って。
コメント