無口な少年が、ステージに立ってギターを鳴らす。その音に、言葉以上の感情が宿っているとしたら──。
『ふつうの軽音部』に登場する矢賀は、ほとんど喋らない。それでも、彼の存在がバンドを変えた。
この記事では、矢賀が「言葉」でなく「音」で語る理由に焦点を当てながら、その背景にある痛みと、物語全体との接続について深く掘り下げていく。
矢賀というキャラクターが“言葉を選ばない”理由とは
『ふつうの軽音部』のなかで、矢賀というキャラクターが持つ無口さは、単なるキャラづけではない。
むしろ彼の“言わなさ”には、過去の痛みや自己防衛本能、そして音楽という唯一の出口が絡み合っているように思える。
このセクションでは、彼がなぜ「言葉を避ける」のか、その理由を3つの視点から読み解いていく。
口数の少なさと、“傷つきたくない”という無意識の防衛本能
矢賀が話す場面は、全体を通して非常に少ない。
誰かに何かを伝えるときですら、彼は「必要最小限」の言葉しか使わない。
その背景にあるのは、人と深く関わることで傷ついた過去なのかもしれない。
言葉には責任が伴う。何かを言えば、それに反応が返ってくる。
その反応が「拒絶」や「否定」であった経験が、彼に「言わない」という選択を身につけさせたのだとしたら?
矢賀にとって、沈黙は防具であり、ギターは唯一のコミュニケーション手段だったのだ。
誰ともつるまないようで、実は仲間思い──矢賀の二面性
一見すると、矢賀は「孤立している」ように見える。
でも、物語を読み進めると、誰よりも“気を配っている”キャラでもあることがわかる。
例えば、メンバー同士が衝突したとき、彼は決して言葉で仲裁しない。
代わりにアンプをつなぎ、音を鳴らすことで空気を和らげる。
その姿は、まるで「言葉で説得すること」より「音で示すこと」のほうが、ずっと信じられると言っているようでもある。
無口だからこそ、彼の“行動”は一層重く、誠実に響く。
矢賀は、音楽を通じて人を思いやることができる、不器用な優しさを持ったキャラクターなのだ。
過去の描写に現れる“言葉への不信”とその由来
矢賀の部屋には、押し入れにしまわれたトロフィーや破れかけの楽譜がある。
そこに共通するのは、「過去への未練」ではなく、「過去への拒絶」だ。
作中では明示されないが、彼が“音楽”と“言葉”の間で苦しんだことは確かだろう。
「夢を語ったけど叶わなかった」「誰かを励ましたけど裏切られた」──そんな経験が、彼を“無言のギタリスト”へと変えたのかもしれない。
言葉は時に、音より残酷だ。
矢賀は、それを知っている。だから、音でしか語らない。
音が語る──ギターこそが矢賀の“本音”だった
言葉にしない、というよりも──できない。
その“代わり”に鳴らされるギターの音は、時に怒りであり、叫びであり、祈りだった。
矢賀がギターを弾くとき、そこには“技術”ではない何かが宿る。
それは、彼が唯一世界とつながる手段──本音の翻訳装置としてのギターだった。
文化祭ライブのギターソロ──言葉以上の告白
文化祭でのライブシーン。
全員の緊張がピークに達するなか、矢賀は一言も発さず、ギターを肩にかけてステージに立った。
MCも煽りもない。
ただ、一音目のピッキングで、観客の空気が変わる。
静かに、けれど情熱的に響くリードギター。その旋律は、まるで「今まで言えなかったこと」を一つひとつ告白するようだった。
音が震え、音が熱を持ち、音が涙を誘う。
それは「演奏」というよりも、“叫びのような手紙”だった。
誰にも届かないと思っていた感情を、ようやく世界に向かって投げ出したような──そんな矢賀のソロだった。
スタジオ練習後の無言の和解──ギターが橋渡しをした
メンバー同士の衝突があったあと、空気が冷え切ったスタジオ。
誰もがどう声をかけたらいいかわからない中、矢賀は黙ってアンプを繋いだ。
その後、彼が鳴らしたのは、まるで「大丈夫か?」と問いかけるようなフレーズだった。
その一音が、みんなを動かした。
りんちゃんが自然にコーラスに入る。ドラムがビートを刻む。
誰も「許す」とは言わない。でも、音で和解する。
矢賀のギターは、言葉の代わりにバンドの“対話”を担っていた。
彼にとって音は、誤解されることのない“確かな意思表示”なのだ。
“怒り”も“優しさ”も音に込める──るりの証言から読み解く
物語の中盤、るりがこんなことを言うシーンがある。
「矢賀のギターってさ、“ごめん”とか“ありがとう”とか、“言いたいけど言えない”が全部入ってる気がする」
るりのこのセリフは、矢賀の本質を見抜いていた。
彼は、言葉を信用していないのではなく、言葉では足りないと思っている。
だからこそ、喜びも怒りも哀しみも──すべての感情を、音に変える。
るりがその音に“意味”を感じ取れたのは、矢賀の演奏に真摯な「心」が宿っていたからだ。
ギターが感情を翻訳する。
それは、矢賀が“言葉の限界”を知っているからこそできる表現だった。
『ふつうの軽音部』が描く“言葉にならないもの”の価値
『ふつうの軽音部』というタイトルは、実は強烈な皮肉だ。
登場する誰もが“ふつう”じゃない──感情の処理が下手だったり、言葉に詰まったり、人との距離感がわからなかったり。
そんな彼らが、バンドという“協調が求められる場”でぶつかり合いながら、自分なりの音を見つけていく。
このセクションでは、矢賀という存在を軸に、“言葉にならない感情”を描くことの意味を、作品全体のテーマと結びつけて掘り下げる。
“ふつうじゃない”軽音部──心の声をどう翻訳するか
作中のキャラクターたちは、何かしら「うまく言えない感情」を抱えている。
それは、怒りだったり、焦りだったり、誰にも言えない劣等感だったり。
彼らにとって、音楽とはそれを“翻訳”する手段だ。
言葉では傷つけてしまうかもしれない。沈黙すれば届かない。
だからそのあいだに、音楽という“第3の言語”を介することで、ようやく伝えられる気持ちがある。
矢賀の存在は、その象徴だ。
彼はいつも黙っている。
でも、その音は誰より雄弁に語っている。
この作品は、“ふつう”の形にできない心を、“音”という形にしてみせた。
言葉を超えた共鳴──矢賀の存在がバンドにもたらしたもの
もし矢賀がいなかったら、この軽音部はもっと“言葉”に頼ったバンドになっていただろう。
リーダーシップをとる人、盛り上げる人、説明する人──それぞれが言葉でつなぐチーム。
でも、矢賀がいたことで、「音でつながる」チームに変わっていった。
音合わせ中のアイコンタクト、黙ったままのフレーズ交信、ライブ中のソロパートの譲り合い──
それらは、言葉ではないけど、確実に“対話”が成立している瞬間だった。
矢賀がいたことで、メンバーは「聞く」ことの意味を覚えた。
「黙る」ことの優しさを、感じられるようになった。
彼は、バンドという場に“余白”を持ち込んだのだ。
無口なギタリストが背負った、作品全体のメッセージ
『ふつうの軽音部』は、決して「夢を追うキラキラした青春」だけの物語ではない。
むしろその反対だ。
夢が見つからなかったり、自信を持てなかったり、仲間ともうまく距離が取れなかったり──そんな“不完全なまま進むこと”を肯定する作品だ。
矢賀は、その象徴だ。
なぜなら、彼は「うまく言えないまま、でも伝えようとしている人間」だから。
その姿勢そのものが、読む人の心に刺さる。
誰もが、自分の気持ちを完璧に言葉にできるわけじゃない。
でも、矢賀のように、“別の方法で伝えようとする”ことができる。
この作品は、その姿を「ギター」という道具を通じて描いてみせた。
言葉が足りないこの世界で、矢賀は“音”で寄り添っていた
僕らは日々、言葉を選びながら生きている。
でも、うまく言えなかったあのときの気持ち──それは、なかったことにはならない。
『ふつうの軽音部』に登場する矢賀は、その“言えなさ”をギターで語った。
怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも誰かを守ろうとしているのか。
彼の音には、そういう感情の“揺れ”が詰まっていた。
人は時に、言葉を超えたところで繋がれる。
沈黙のなかで響く音、誰にも言えなかった思いを込めた一音──
そうしたものが、人と人の距離を近づけることもある。
矢賀のギターは、世界との対話だった。
そしてその音があったから、『ふつうの軽音部』という物語は、優しくて、切なくて、忘れられないものになった。
言葉が足りないこの世界で、僕たちはどう“伝える”か──
その問いに、矢賀は今も、音で答えている。
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