『ふつうの軽音部』×andymori|“普通じゃない感情”を音に変えて

ふつうの軽音部

バンドって、不器用だ。
続けたくても壊れてしまうし、伝えたくても届かない。
でも──それでも音楽を鳴らしたくなる瞬間がある。
『ふつうの軽音部』がandymoriを選んだ理由は、単なる“かっこよさ”じゃない。
叫びたかった。伝えたかった。
言葉にならない想いの代わりに、“everything is my guitar”を鳴らしたかった。

このページでは、andymoriが持つ衝動と、それが『ふつうの軽音部』とどこで重なったのかを、
感情の断片ごとに分解して語っていきます。

『ふつうの軽音部』にandymoriが登場する意味とは

『ふつうの軽音部』は、青春の揺らぎを描く物語だ。
その物語に、andymoriの音楽は“切り傷のように自然に”入り込んでくる。
楽曲の登場は偶然ではない。これは“表現”の選択であり、心のノイズを可視化する手段だった。

この章では、なぜandymoriだったのか──なぜ彼らの音が必要だったのかを探る。

バンドの“未完成さ”が、物語の空白を埋めた

andymoriというバンドには、常に“完成しきらない美しさ”があった。
荒削りで、衝動的で、どこか危うい。それが、逆にリアルだった。
『ふつうの軽音部』の主人公たちは、技術でも理屈でもなく、「今を鳴らす」ことに全てを賭けていた。

練習すれば上手くなる──そう思いたいけど、感情の揺れだけは訓練では抑えきれない。
彼女たちの揺れは、まるで音楽のようだった。
その震えに、andymoriの“未完成”がちょうどよくフィットしたのだ。

上手くなくていい、でも、本気で叫んでいたい
その気持ちを肯定してくれるバンド──それがandymoriだった。

“everything is my guitar”が持つ、叫べない叫び

作中で象徴的に使われるのが、andymoriの「everything is my guitar」だ。
この曲の歌詞は、抽象的でありながら強烈な感情を含んでいる。
特に、「泣いている君の代わりに ギターが叫ぶ」というような意味合いが、物語とリンクしている。

『ふつうの軽音部』の登場人物たちは、傷を持ちながらも言葉にできない。
叫びたくても、誰かを傷つけてしまいそうで声にできない。
そのとき、音楽──ギターだけが感情を翻訳してくれる

「everything is my guitar」は、そのまま“彼女たちの叫び”だった。
無音のまま押し殺すより、ノイズでもいいから音にする。
その選択が、どれだけ切実だったか。
この楽曲が登場した瞬間、その痛みが観る者に突き刺さる。

コピーじゃなく継承──音が語る感情の系譜

『ふつうの軽音部』でandymoriの曲を演奏する場面は、単なる“コピー”ではない。
そこには、andymoriが持っていた“感情の原風景”を継ぐような覚悟があった。

感情は、時に世代を越える。
音楽という形を通して、あの頃andymoriが鳴らしていた“不器用な生”が、今の彼女たちに受け継がれているのだ。

技術や再現度ではない。必要なのは、「今、自分の感情として弾けるか」という真実だけ。
その精神性こそが、バンドが持つ“継承”の力であり、
『ふつうの軽音部』が読者に突きつけた問いだった。

コピーじゃない。音でつなぐ“感情の系譜”が、確かにそこにあった。

“普通じゃない感情”を音に変えるということ

『ふつうの軽音部』というタイトルは、ある種のアイロニーだ。
誰もが「普通」に囚われ、「普通」になれず、「普通」に傷つく。
でも、ほんとうに“普通”なんて存在するのだろうか?
それでも彼女たちは、“ふつう”と名乗ることで、その矛盾を音楽に変えていく。

この章では、「言葉にできない感情」を、どう音に託してきたのか──
“音にすることでしか伝えられなかったもの”を拾い上げていく。

「音を出せば、何かが変わる」──彼女たちの希望

彼女たちは、最初から“音楽で救われた人間”じゃなかった。
音を出してみても、何かが変わるわけじゃない。
だけど、それでも。音を出さずにはいられなかった。

誰かに認められたかったわけじゃない。
自分のなかの混乱や焦燥に、ただ応えたかっただけ。
andymoriのように、「世界に何かを刻む」というより、「自分を肯定したかった」だけかもしれない。

でもその衝動が、まぎれもなく音楽だった。
自分を動かすもの、自分を繋ぎ止めるもの。
“音を出す”という行為が、彼女たちの希望だった。

“壊れてしまうもの”と向き合う覚悟

andymoriもそうだったけど、『ふつうの軽音部』もまた、
「壊れること」を避けようとはしない物語だ。
むしろ、“壊れるかもしれない”という前提で向き合っていく強さがある。

バンドって、メンバーの感情や環境が一つズレるだけで壊れてしまう。
友情とか夢とかを乗せているからこそ、壊れたときの痛みも大きい。
『ふつうの軽音部』の彼女たちは、それを最初から知っている。
だから、壊れるのが怖い。でも、それでも音を鳴らす。

その在り方は、andymoriの“生き急ぐような音楽”と重なる。
「どうせ終わる」ことを知った上で、「今、鳴らす」覚悟。
それが、普通でいられない彼女たちの“強さ”だった。

聴くことが、誰かを救うことになると信じて

音楽は、誰かを救うのか?
答えはいつだって曖昧で、個人的だ。
でも──「その音に救われた」と言える瞬間があるのも、また事実。

『ふつうの軽音部』の中で、andymoriの音楽を“演奏する”ことは、
自分を救う行為でありながら、「誰かに届いてほしい」という祈りでもあった。

音が響いたとき、言葉にできなかった気持ちが、少しだけ輪郭を持つ。
聞いている誰かが、「それ、わかるよ」と思う。
その共鳴が、静かに人を救うのかもしれない。

聴くことが、届くことになる。
鳴らすことが、伝えることになる。
その信念が、彼女たちの音の根底に流れていた。

“続かなかったバンド”が遺したもの

andymoriは、2014年に解散した。
そのラストライブは、希望というより“静かな完結”だった。
夢を諦めたというより、「やり切った」と思わせるような幕引き。

『ふつうの軽音部』でも、“続かないこと”は敗北じゃないという哲学が滲んでいる。
この章では、続けられなかった彼らが何を遺し、そして、それがどう受け継がれたのかを見つめていく。

“終わったあと”に残る音──記憶と物語

バンドって、不思議だ。
解散した瞬間、その音はもう二度と“同じ形”では鳴らせなくなる。
でも、それは“消える”こととは違う。

andymoriの音楽は、いまも誰かのスピーカーから流れている。
それは記憶として、あるいは物語の一部として生きている。
『ふつうの軽音部』で使われた楽曲たちは、まさに“終わったあと”に生き続ける音だった。

ライブじゃない、リアルタイムでもない。
それでも、物語の中でandymoriは確かに鳴っていた。
終わったあとも、音は人の中に生きるという事実を、私たちはもう知っている。

続けられなかったことは、敗北じゃない

「続けること」って、時に過剰に美化される。
でもandymoriは、“終わること”を恐れなかった。
むしろ、自分たちのタイミングで終わらせるという選択が、美しかった

『ふつうの軽音部』の彼女たちもまた、「いつまでも一緒にいようね」とは言わなかった。
彼女たちは知っていた。バンドは永遠じゃないってことを。

でもそのうえで、「じゃあ今、何を鳴らすか」に向き合っていた。
未来が見えないからこそ、今の音に命を込める。
その姿勢こそが、バンドにとっての“勝利”なのかもしれない。

andymoriと同じように、『ふつうの軽音部』もまた、
“続けられなかった”ことを、ちゃんと物語にした作品だった。

声にならないものを、ギターが歌ってくれる

andymoriの音楽を聴いていると、
「これは自分の言葉じゃないのに、自分のことみたいだ」と思う瞬間がある。
たぶん、あの歌たちは“代わりに叫んでくれていた”んだ。

『ふつうの軽音部』でギターを鳴らす彼女たちも、
言葉では伝えきれない想いを、音に託していた。
怒りも、悲しみも、喜びさえも、コードとリズムの中に閉じ込めていた。

andymoriの音楽は、そんな“声にならないもの”のための居場所だった。
それが今、彼女たちの手に渡っている。
ギターが叫んでくれる。だから、前を向ける。

そんなふうに、音楽は誰かの代わりに生きていく。

ふつうでいられない僕らへ──音楽は、感情の翻訳装置だ

“ふつう”って、なんだろう。
誰かと比べたときに感じる劣等感、うまく言葉にできない孤独、
みんなは楽しそうなのに、自分だけ何かが欠けているような感覚。

『ふつうの軽音部』の彼女たちは、そんな不完全さを抱えながら、
それでも“鳴らす”ことを選んだ。
andymoriの音楽に自分たちを重ねながら、自分たちの“今”を刻むように音を鳴らした。

バンドは続かないかもしれない。
感情は言葉にならないかもしれない。
でも──ギターが叫んでくれる。音が伝えてくれる。
その信頼が、彼女たちを動かしていた。

andymoriもまた、“終わること”を恐れずに、今しか鳴らせない音を全力で鳴らしたバンドだった。
だからこそ、彼らの音楽は今も生き続けている。

『ふつうの軽音部』は、その遺志を継いでいる。
いや、たぶん“継ぐ”というより、“共鳴している”んだ。
音楽を通して、自分でも気づけなかった感情に名前をつける
それが、作品が与えてくれた最大のギフトだったのかもしれない。

そして今、このページを読み終えたあなたの中にも──
まだ言葉にならない気持ちが、音のように揺れているなら。
それは、あなた自身の“歌”なのだと思う。

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